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プールとロックとお馬さん。

12/10日記

そろそろ、室外での喫煙も限界の季節か。
恐ろしく寒い。

冬季限定で室内解禁も・・・と考えてしまう。
しかし、私はこの部屋がとても気に入っており、できる限りキレイに使いたい。
ま、減煙にも役立っているし換気にもなっているから、寒さは我慢しよう。

10時半頃に起床。
オッサンは先に起きてガサゴソと活動していたが、ほったらかしで寝てた。

11時過ぎから求人サイトをチェック。

選挙当日、立川市内の投票所での仕事を発見。
すぐに派遣会社へ応募の電話。
すると、10月に改定された派遣法に関する説明を受けた。
何やら、年収が500万以上とか学生じゃないと、単発の派遣バイトはできなくなったらしい。
要するに、年収の少ない社会人や無職の人が日雇い派遣に依存しないよう、という意図。
でも、学生はともかく、どこの年収500万以上が日雇いのバイトをやるのか?

ただ、これで申し込む対象が絞られたので良かった。
派遣会社経由ではなく、企業による直接募集の案件を当たれば良い。

数日前からチェックしていた求人。
年末の某イベントの警備。
泊り込みで3日間働いて48000円。
加えて法定研修3日分の給料が貰える。
最終日に現金支給というのがありがたい。

警備会社へ電話を掛けると、歓迎口調で応対してくれた。
そして水曜の午後、面接を受けることに。

このバイトが決まれば、おそらく7万円ほどの収入になる。
すると12月末の収入は、辞めた会社の最後の給料と合わせ、普段の収入とさほど変わらない。
そして、法定研修日(朝から夕方まで)と勤務日のスケジュールが埋まる。
あとは空いた日に他のバイトを入れれば良かろう。
もしくは、その警備会社が抱えている他の案件で働ければ手っ取り早い。
そのあたり、面接時に相談してみる。
できるだけ稼いでおかないと、来月の各種支払いが危うい。
初回の給付金が入るのは2月の上旬。

電話を終え、好感触だった旨をオッサンに伝えると「じゃあ俺も」と。
電話番号をメモして渡した。

12時前、オッサンは去っていった。
豚トロ丼を作って食った。

食後すぐに外出。
書類を抱えてハローワークへ。

まずは、先日の失業認定時に間に合わなかった離職票を提出。
念のため、バイトをした際の扱いについて、窓口のお兄さんへ質問しておいた。
前に調べた通りの回答だった。
給付制限期間に行ったバイトは、「就職」とみなされるもの以外、給付には影響しない。
就職とみなす基準は「雇用保険加入の有無」であるらしい。

ただ私の場合、入校日の1/4(金)に給付制限期間が解除される。
(本来は3/2まで)
従って1/3(木)まではバイトやり放題。
そして、1/4(金)以降については「バイトをしちゃいかん」というわけじゃなく、働いた日を申告する必要がある。
で、その日数分は給付から削られるという仕組み。

次いで職業訓練の窓口へ移動。
先月の応募時と同じオジサン。
お陰で合格できた、と礼を述べつつ必要書類を1枚提出。
今後の段取りについて説明を受け終了。
1/4(金)の午後、ハローワークに来るよう指示を受けた。
(あと、12/17の初回認定日にも顔を出さねばならない)
その日は入校式のみで、学校は午前中に終わるらしい。

最後に1階で求人検索。
明日の説明会に求人票を持参する必要があるのでプリントアウト。

帰宅してコインランドリーへ。
実に久々の洗濯。
2週間以上ぶりだと思われる。
この生活だと、あまり衣服に気を配る必要がないから、洗濯物が溜まるペースも遅い。

洗濯機が回る間、水曜に持参する履歴書を作成。
用紙も写真も残り物があって良かった。

乾燥まで終えてから指数管理業務。

ここまで済ませて夕方の5時。
夕食は豚トロチャーハンを作ることにした。
偏食に飽きない性分とはいえ、それなりにバリエーションを持たせる必要がある。
卵を消費せにゃならんし。

食事中、オッサンから電話。
同じバイトに申し込んだ際、私に紹介された旨を伝えたところ、二人同時に面接を行うことになったらしい。

7時台、急激に眠くなった。
しばしの読書後、寝てしまった。

起きたら0時半。

明日は午後から雇用保険説明会。

今週も毎日、何かしらの予定が入っている。
毎日数時間ずつのものだが、こうやって活動していると、どことなく安心感と充実感がある。
5年前の夏にも失業期間があり、あの当時もあれこれと活動していたが、今回の方が落ち着いて臨めている。
やはり、大事なのは「やりたいこと」を定めることなのだろう。
多少の無理があっても、方向性さえ定まっていれば、おのずと行動も定まってくる。
それが前回と今回の違い。

などと偉そうに言っているが、学校に落ちていればグダグダ感は増していたはず。

その京都での5年前を思い出すと、人生とは数奇なものだと、つくづく思う。
もしあの時、あれこれ受けた面接のどこかで採用されていたら、今、私は東京にいないだろう。
当時、面接に落ちまくった結果、私は上京を決意した。
「東京の方が仕事あるだろ」って。
実際に来てみて、その通りだと思う。
確かに正社員での就職が厳しいのは、どこでも同じなんだけど、その他の仕事が充実している。

もっと言えば6年前、鳥取のローソンで「2号店の店長」とかやっていたら・・・。
あのオーナー店長が二代目のボンクラ息子で良かった。
もしバリバリの敏腕で、店舗数を拡大できていたら、私はそれに巻き込まれていただろう。
(もっとも敏腕経営者なら、私なんぞに店は任せんだろうが)
引越し代を貸してくれたりしたし、今から思えば世話になった。
このブログの黎明期。

ではまた明日も。
by efurin | 2012-12-11 02:04 | 日記