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プールとロックとお馬さん。

2回目の大学4年生の暮れ、家の事情で学費の支払いが不可能となり(学費がベラボーに高い学校だったんですね)中退がほぼ決定しました。
僕は、12月、1月と学校にも実家にも行かず、岐阜にある浪人時代の友人の実家に居候しておりました。
その時は、開催に合わせて連日「笠松&名古屋競馬」に通ってました。
地方競馬場は浪人時代に一度だけ園田へ行っただけでした。

笠松は僕にとって新鮮で刺激的な場所でした。予想屋さんの威勢の良い声が響く場内を、100円の串カツと新聞を手に練り歩く・・・。
初めて訪れる競馬場では、真っ先に予想屋さんと仲良くなる事をおすすめします。その予想を信じるかどうかは別として、その競馬場特有の馬や騎手、コースに関する話を聞かせてくれるだけで貴重なもんです。例えば、名古屋競馬場(通称ドンコ競馬場)では外枠有利という情報を元に、初来場の日に馬単6万馬券を取ったりできたものでした。

1999年の4月中旬、大学を中退した僕は何となく神奈川県川崎市に移住しました。

特にそれを意識して土地を選んだわけじゃなかったけど、府中まで電車で30分という素晴らしく便利な場所でした。

バイト先の牛丼屋さんには、これがまた競馬好きが多かったんですね。何せ、事務所にはみんなが競馬予想やらネタを書き込む「競馬ノート」なんて物があったぐらいでしたから。
ほとんど「ますざぶ」状態のノートでした。

毎週、府中に通い、また平日の休みには川崎やら大井、ついでにいうと京王閣競輪場(ここで競輪と出会いましたね)にも足繁く通ったものです。
その頃の僕は、すっかりスピード指数を捨てておりました。当初は絶対的な武器であった指数のない中で、手探り状態の馬券購入でしたが、やがて競馬予想には「ホント色んな要素があるもんだ」と気づいたものです。ずっと指数に依存していたら、馬券的に視野の狭いままだったでしょうね。
「コース適性」「血統」「オッズ分析」などなど、今まで少し気にしていただけの要素を随分と研究しましたね。「競馬四季報」を買ったりして・・・。

あの頃のベストヒット馬券は1999年の秋華賞です。そう、あの9万馬券が飛び出したレースです。

その⑧に続く。
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# by efurin | 2006-05-12 00:09 | 競馬 | Comments(0)

5/11日記

はてさて、ブログ立ち上げ2日目ですが、すいぶんとたくさんの記事、雑文を書いてしまいました。こうみえて、一応仕事中だったりします。
今日は何曜日だっけ?あ、木曜日なのね。
今週末はヴィクトリアマイルという新設GⅠがあるのですね。

個人的には「府中1800」あたりの中途半端な距離で開催してもらいたかったです。
いや、その・・・牝馬限定重賞って1800が多いでしょ。
まあ、根幹距離で、って感じなんでしょうけど。あと、「ヴィクトリア」って言葉の後に「マイル」と続くのがネーミング的に楽だからでしょうか・・・。

ラインクラフト、エアメサイア、ダンスインザムードの3強ムードなんですか?春天でPAT残高を使い果たしてしまった(ディープインパクト&アイポッパーの2頭軸からの3連複流しで勝負しました)ので、あまりこのレースには関心を寄せてないのですよ・・・。

この3頭ならエアメサイアを買いたいところですなあ。よく言われる事ですが府中のマイルは少し上の距離適性が求められるコースですし、ラインは阪神牝馬Sを使ったのがどーも気になる。ダンスはGⅠで北村を買っても良いのか?って感じ。何か一波乱ありそうな気がします。

リンクを張ってくれたますざぶイラスト神(蟹)のお二方ありがとうございます。
競輪で例えると、
「エキサイトブログラインの3番手」
を離れないようしっかり付いて行きたいと思います。
離されるけど(笑)。
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# by efurin | 2006-05-11 23:25 | 日記 | Comments(2)

開門待ちの行列の中、バンドー君はコンクリートの地べたで爆睡してました。僕は、街灯の明かりの下でいつものように指数の計算・・・。
開門直前、行列の人数は2500人を超えていたそうです。中には、わけも分からずエイヤっと並んだ通りがかりの人もいたかもしれませんね(笑)。

改装直後の中京はむちゃくちゃキレイでした。一般席なのにガラス張りで机まである豪華な場所に陣取る事ができました。僕は例の如く、1Rからちまちまと馬券を買っておりましたが、バンドー君は一切馬券を買わず、じっとレースを観ているだけでした。

メインの宮杯になって、初めてバンドー君はマークシートを手に取り、1点1万~数千円単位の馬券を買いました。その日絶好調だった僕も、フラワーパークから数千円ずつの馬連を買いました。
しかし、あの「フラワーパーク-ビコーペガサス」の決着で馬連1540円ってのはよくついた配当だと思いますねぇ。ブライアンが随分と売れていた、って事でしょう。ブライアンも、1200というスペシャリスト領域のレースで4着にまで食い込んだのはさすがだと思いましたね。

バンドー君はホント勝負師でした。この人とは、その前々年のマイルCSの時も一緒に淀まで行ったのですが、その時も彼はメインの「ノースフライト-サクラバクシンオー」馬連260円の1点勝負をする為に、朝からじっと馬券購入を控えていたのでした。あのマイルCSに関しては僕も、今日に至るまで、あれほど、
「この1点で鉄板だ!」
と思って馬券を買った事はないほど自信のレースでしたね。

ともかく、その日の中京で僕たちは二人揃って10万円以上の大勝を収めたのでした。
帰り道、競馬場付近の大渋滞の車内で、
「負け組に襲撃されると怖いから、まだ金は数えちゃいかん」
などと言ってた事を覚えております。
渋滞を抜けてから、バンドー君は二人の万札を束ねてビンタしたりしてはしゃいでました。

そんなお金はすぐに消えましたが・・・(笑)。

大学生活はというと、4年生の時に大学祭の実行委員長で燃え尽き、留年しました。
その頃、「スピード指数」の資料有料化と、レースの「スローペース症候群」(スピード指数の天敵でした)の波が僕に押し寄せ、少し競馬から離れつつありました。

その⑦に続く。
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# by efurin | 2006-05-11 22:56 | 競馬 | Comments(0)

すっかり「簡単に」ではなくなっております・・・。

さて、当然の如く浪人いたしました。
浪人時代も自習室で電卓を叩く日々が続きました(笑)。ウイニングチケット、ビワハヤヒデ、ナリタタイシンのクラシックでしたね、その年は。

で、その冬の受験も、大阪での試験会場の面接待ち時間に近くのウインズ難波へ行って馬券を買ったりして、まったく成長してない所を見せたりしておった僕ですが、どういうわけかひょっこり1校だけ合格いたしまして複数年浪人だけは何とか回避しました。

大学時代は長野県で過ごしました。

ナリタブライアン3冠達成の瞬間は野球部の遠征で、岐阜で試合してました。当時は、当然PATなどという便利な物も持っておらず、もちろん長野県には馬券を買える施設なども皆無でして(バイト先の社長に「ノミ屋紹介してやろっか?」って言われましたが、笑)最初の2年間は、たまに帰る地元以外は競馬から離れた生活でした。ほぼ毎日、麻雀の日々でしたね。

が、大学2年の後半あたりから、車を片道2時間走らせて山梨県のウインズ石和まで通うようになりました。若いってのは、ほんと無駄にパワーが溢れるもんですね。お陰で、住んだ事はないのに甲府近辺の道は妙に詳しくなりました。
ウインズ石和には200人(だったと思う)限定のゴージャスな指定席「エクセルルーム」ってのがありまして、当時の馬券スタイル的に机が必須だった僕は、いつもそこに入る為に朝5時には自宅を出たものでした。

大学時代に印象に残ってるのは、3年生の春、GⅠに昇格して最初の高松宮杯ですね。土曜日の夜、いつもの様に僕の部屋で麻雀をしていた時に、
「明日は中京でブライアンが走るんやなー」
という話題になり、その場のノリで、
「そりゃ見に行かなあかんやろ」
という話になり、深夜1時に当時の盟友バンドー君と共に名古屋方面へと出発しました。

車内では、「さすがに3時に着いたら指定席入れるやろ」などと話しておりましたが、到着してみると異様な光景に出くわしました。中京競馬場ってのは少し小高い場所にそびえ立っておりまして、正門から下の道までなだらかな坂になっております。で、そこにあったのは見た事もない長蛇の列でした。警備員さんに、
「これ何人ぐらいいるのですか?」と聞くと、
「今、ちょうど1000人ぐらい」と言われ、
「指定席の列ですか?」と聞くと、
「指定席はハガキ抽選で終わってます」と言われました。
つまり、一般入場のみの行列だったわけです。中央4場以外で開催される初のGⅠってのは、もの凄い歓迎をもって迎えられていたわけですね。

その⑥に続く。
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# by efurin | 2006-05-11 22:20 | 競馬 | Comments(0)

5/11今日の名曲

「SYMPATHY FOR THE DEVIL」(ローリング・ストーンズ)

ミック・ジャガー作詞作曲による狂気のナンバーでございまして、ブライアン・ジョーンズ最後の見せ場となったアルバム「BEGGARS BANQUET」のオープニング・ナンバーです。
邦題は「悪魔を憐れむ歌」でしたっけ・・・。

この曲のレコーディング風景が収められた映画「ONE PLUS ONE」はファン必見ですね。

「お前のベースじゃダメ」といわんばかりに、キースにベースを取り上げられ(実際にそんなシーンはないが、笑)仕方なく悲しげにマラカスを振るビル・ワイマン。
その頃、すっかりバンド内でのイニシアチブを失い干され気味のブライアン・・・。
貴重な映像ですね。

個人的にはライヴ盤「GET YER YA-YA'S OUT」に収録されているバージョンが大のお気に入りです。ピアノ、パーカッション主体のオリジナルバージョンとは異なり、こちらは圧倒的なギターメインの演奏。死んだブライアンに代わって加入したばかりのミック・テイラーのソロはロック史上に残る名演の一つでしょうな。
しかしながら、「史上最強のヘタウマバンド」であるストーンズの中では、どうもミック・テイラーってのはいかんせん、上手過ぎて浮いている感もあります。彼が5年ほどでグループを脱退したのも何となく分かる気がします。

その点で後任のロン・ウッドって人は、
「ストーンズに合わせてやってるのさ」
って感じのプレイが世渡り上手感をかもし出していて素敵ですね。
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# by efurin | 2006-05-11 21:34 | ロック | Comments(0)

受験旅行の東京では、1週間の滞在で4校を受ける予定でした。しかし、平日の試験3発をこなした後、

「府中に行かねば!」

と、頭の中で妙な決意が蠢いたのです。って、最初からそのつもりだっただろ?という感じですね、ハイ。
日曜日のラスト1校の試験を軽やかにブッチし、僕は京王線に飛び乗りました。

「おお!コースの内側に人がいる!」

これが東京競馬場に入った時の第一感でした。京都はご存知の通り、内馬場が池なもんですから・・・。
朝から未勝利、新馬戦の馬券を軽く買って(ともに指数が使えないんですね)迎えたその日初の古馬のレースが6Rの500万条件でした。コースはダート1400で、指数的にもかなり自信がありました。指数がメンバー中で抜けて1位だった根本騎乗の4番人気メリーサンライズを軸に、指数2位から6位の馬に400円5点の馬連均等流しを買いました。
で、レースはメリーサンライズが直線、楽々と抜け出し、あとは2着争い。
2番手グループから最初に抜け出したのは、14番人気のメイスンボサツ。この馬、指数6位で押さえていたんですね。

「4番人気-14番人気で馬連4万馬券!きゃっ♪」

しかし、残り100を切ったところで、後方から的場騎乗の1番人気チャンプレディが強襲。この馬は指数不足の為、馬券から切っていました。2着争いは2頭並んでのゴールでした。とりあえず、興奮を抑えつつ払い戻し所に並ぶと、後ろのオヤジどもが、
「2着は的場が差してるよ、そりゃ」
などと言っておりましたが、内心で
「あんたらにゃあ、メイスンボサツは買えんよ、そりゃ」
とつぶやいたものです。

ハナ差で、メイスンボサツは3着でした・・・。

「ああ、16万円がぁ・・・」

高校生にとっての16万円。それは好きなゲームやらCDやらを山盛り買え、デートの食事がファミレスではなくなり、木屋町(京都の風俗街)の呼び込みのオッサンにも笑顔で応じれる・・・いや、最後のは少し違うな・・・、そんな夢の大金16万円。
その後遺症の為、僕は後の5年間ほど的場が乗る馬をことごとく切ったものでした。

その日のその後、メインに東京新聞杯が組まれていたにもかかわらず、僕は呆然としたまま馬券も買わずに競馬場内をさまよっておりました。競馬博物館で競馬ゲームに参加した事だけ覚えていますが。ま、今から思うとみんなこういう経験を重ねて、心の大きな競馬人へと成長していくのですね、ってなんのこっちゃ・・・。

そんなわけで、次の日、僕は秋葉原へ行き、東京でのもう一つの目的であった、
「スーパーファミコンを買う」
を果たし、京都行きの新幹線に乗ったのでした。

その⑤へ続く。
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# by efurin | 2006-05-11 07:21 | 競馬 | Comments(0)

高校3年生になると、野球部の親友ガク君と共に簡易競馬新聞を作って、学校の廊下やらに張って先生に怒られたりしてました。インテリっぽいガク君が金曜の夜に自宅で出馬表をワープロで作成し、土曜の朝、僕の教室の机の上に置き、僕がそれに予想印を書き込むというスタイルでしたね。
でもって、あろう事に創刊してからのGⅠ、桜花賞と皐月賞を共に「○-◎」で的中させてしまいまして、その直後の天皇賞・春の週末には、僕の教室に予想を聞きに来る人間が殺到したものです。あの、マックイーンとトウカイテイオー世紀の対決、と謳われた天皇賞です。
僕は、聴衆を前に、プレッシャーから逃げるべく、
「このレースは馬券を買うレースではなく、見るレースだ」
などと言っておりました。

しかし、今考えてみると、競馬を始めてからの1年間は自分でも、
「何を検討基準に馬券を買っていたのか分からない」
って感じでした。まあ、
「何となくこの馬」
って感じだったのでしょう。

そんな僕の競馬観を激変させる物と出合ったのは大学受験迫る高校3年の秋でした。

「西田式スピード指数」

ってやつです。

今でこそタイム系理論ってのは間違いなくオッズに影響を及ぼしていると思われるほどに普及し切った感がありますが、その出だしの頃はマイナーな馬券戦術だったわけです。
で、今でこそ基準タイムやら馬場指数やらは有料サービスとなっておりますが、
当時は「競馬最強の法則」誌やら西田氏の単行本やらに全部載っていたので、僕は毎週末、競馬新聞と週刊ブック(馬場指数を自力で算出するのに必需品でした)とマイ競馬ノート(笑)を机に並べ、電卓を叩き続けたものでした。

しかしホントによく当たったものです。ダート1800以下は特に。何せ、
「前走3着の人気馬より、別の前走10着の人気薄の方が上」
なんて事が簡単に判別できたわけです。

そんなわけで、2月になると僕はカバンに電卓と競馬ノートを忍ばせ、東京へと受験旅行に旅立ったのでした。

その④に続く・・・。
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# by efurin | 2006-05-11 04:25 | 競馬 | Comments(0)

ハガキ大量投入。

わたくしの性格上、何事においても、

「準備不足」

が目立ちます。昔から、夏休みの宿題は8月30日まで放置プレイしていたものです。

ますざぶの投稿も、今までは毎月最新号が発売されてからネタを考えておりまして、最後には、
「ま、いっか」
となるわけですね。その他、ギリギリに送ったけど締め切りに間に合わなかったハガキ達もあった事だと思われます。
しかし、よく考えてみると、締め切りのないネタを前もって考えておけば余裕が生まれる、という事に最近気がつきました。31歳の春、進化を遂げたわけです。

てゆうか、この3月末で会社を辞めたのでヒマになっただけの話です。

そんなわけで、この3日間ほど一気にハガキを書いてみました。
その数11枚。
さっき、ポストに放り投げてきましたよ。

新人王を獲り満足したのか、ここ数ヶ月ロクにハガキを書いてなかったのですが(4月号分は2枚、5月号分は4枚、6月号分も4枚でした、多分)、ふと気がつくと「まウォーズ」京都代表の末席に名を連ねていたので、突然発奮してしまったのも多少あるでしょう。

京都、ちょっと強いですよね。

上の御三方は強豪常連様ですし、新人王を分け合ったリッチモンドさんも毎月確実にポイントを獲っておられます。だからといって優勝争いのカギは自分が握っている、などとは思っておりません。
「4勝1敗」
でいいじゃん(笑)。いやいや、皆様の足を引っ張る事なきよう頑張ってみようと思ったりしてます。
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# by efurin | 2006-05-11 03:19 | ますざぶ | Comments(4)

競馬場デビューは、その秋のゴールデンフェザントが勝ったJC当日の京都競馬場でした。
野球部の同期外野手トリオで連れ立って行きましたねぇ。

「馬連が100円単位で買える!」

と、感動に胸を震わせました。

朝から馬券はまったく当たらずでしたが、JCの馬連(ゴールデンフェザントーマジックナイト)を的中させ、帰り道、負けた他の二人にビールと焼き鳥を奢りました。
その後、8年ほどこのメンバーでの「JC当日の淀来場」は恒例行事としていたのですが、みんな忙しくなってしまい、いつの間にやら自然消滅してしまいましたね・・・。

さてその年の暮れ、当時は年末に行われていたスプリンターズSの日の阪神牝馬特別で枠連4130円を千円的中させ、初めて払戻機から複数枚の福沢諭吉様を引っ張り出しました。その直後の野球部の冬合宿にてビールをフル奢りでドンチャン騒ぎしたのを覚えております。

その次の日曜日は淀へと足を運び、初めて迎える有馬記念のメンバーに何を買って良いのか分からずオロオロしましたねー、って今から思うとあの有馬記念はそれほど豪華メンバーではなかったですが・・・。100円単位で買える事も手伝って、レース発走の時には手に馬券が10枚ほど握られておりました(笑)。

で、勝ったのは⑧ダイユウサク。

「あんた誰?」

って感じでした。でも、とりあえず馬券を一枚づつチェックしていると、驚いた事に、

「馬連①-⑧ 800円」

ってのがあったんですよ。さんざん大量の馬券を買った中でも、唯一本線っぽく買おうと思っていたのが、「枠連①-⑧」だったんですね。大本命マックイーンの1枠とメジロライアン、カリブソングが同居していた8枠ですね。
ま、よーするに枠連と馬連を間違って買ったわけです、ハイ。

お陰で楽しい年末年始を過ごせましたねぇ。ありがとう、俺の右手。ナイスマークミスでした。

③に続く。
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# by efurin | 2006-05-11 01:11 | 競馬 | Comments(0)

初めて馬券を買ったのは、高校2年の秋、メジロマックイーンがブイブイ活躍していた頃でした。

きっかけは、たまたま読んだ写真週刊誌(FLASHか何か)の見開き2ページ、及び袋とじ付録の記事、
「これで、あなたも秋GⅠでがっぽり稼げる」(みたいな感じでした、多分)
でしたね。

当時は麻雀以外の賭け事には興味なかったのですが、
「へぇ、競馬って簡単に当たるんやなぁ・・・」
とサクっと反応してしまったわけです。

で、確か高校の文化祭の日に学校を抜け出して、すでに馬券を買っていた同級生のタバタ君に祇園のウインズへと連れて行ってもらいました。雑誌に載っていた出目表(笑)の指示通りに、その日のメイン、京都大賞典と毎日王冠の馬券を買いましたが当然の如く撃沈しました。

初めて馬券を的中させたのは、その秋のエリザベス女王杯でした。リンデンリリーが今は亡き岡潤一郎騎手を背に勝ったレースです。枠連で700円の配当でしたね。思えば当時のウインズ京都は馬連導入後にもかかわらず枠連しか発売してませんでした。でもって今でもそうですが、発売単位が1000円なんですよね。これは、貧乏高校生にとっては辛い修行でしたが、枠連で3,4点に買い目を絞るというのはなかなか良い馬券の買い方でした。女王杯で儲けた3000円で友達に牛丼を奢ってあげたのを覚えております。 

②に続く・・・って全然「簡単に」じゃなさそうじゃん、これ(笑)。
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# by efurin | 2006-05-11 00:45 | 競馬 | Comments(0)

投稿してたりします。

「サラブレ」って雑誌は約10年ほど前、競馬ブーム最盛期に創刊されて、その当初は何となく購読したりしていたのですが、元来、比較的硬派な馬券人(何じゃそりゃ)である僕は、しばらくのうちに、
「ダメだ、こんな軟弱な競馬雑誌は」
と思い、「競馬最強の法則」一本化へと移行したわけです。

時は流れて2年前、ふと書店で「金満血統王国」の単行本を立ち読みしまして、
「あ、こりゃなかなか感心な内容じゃのう」
と、再びサラブレを読むようになったんですね。

で、ますざぶ。
「おもしろいねぇ」
と思いながら1年間読んでいたのですが、まさか自分が投稿するようになるとは思ってもいませんでした。
去年の夏、新人賞なんぞを狙いすまし、2005秋場所開幕と同時に投稿を開始いたしました。
要するに当時は無職状態でヒマだったわけですよ。

ぽちぽちと掲載されたり、飛びぬけて強力な他の新人さんが不在だったので嬉しかったのですが、秋に就職してしまい、とてもじゃないがハガキが書けなくなってしまいました。場所の半ばあたりではリッチモンドさんが新人王レースで一歩抜け出し、
「追っつけねー」
と思っていたりもしてましたが、ラスト2月で大マクリ脚を駆使してしまいましたね。新人王タイだったけどラッキーでした。毎月平均、ハガキ4、5枚の投稿量でよく獲れたと思います。
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# by efurin | 2006-05-10 23:48 | ますざぶ | Comments(0)

5/10今日の名曲

以前のブログと被ると思うけど、そんなの読んでた人はまずいないと思うので容赦なく被らせます。

「SOUTHERN MAN」(ニ-ル・ヤング)


この人の声が生理的にダメだという人も多いですね。ピーター・バラカンさんもそう言ってました。って、直接会って話したわけじゃあないけど(笑)。
僕は好きですねぇ、あの蓄膿症っぽい声。

表題曲は名盤「AFTER THE GOLD RUSH」に収録されております。このアルバムはホント好きですねぇ。10指には間違いなくランクインします。そういや、先月、わたくしうっかりiPodの曲を操作ミスで全部消してしまい、また最初から所有CDをダンボール箱から漁ってパソコンに取り込む作業をしていたのですが、その時に気付いたんです、

「買ってもいないニ-ル・ヤングのCDが3枚もある」

僕は、自分のCD歴18年の中で、自分で購入したCDはだいたい、その時期と場所を覚えていたりする人間なもんで、こりゃおかしいと思いましたが、記憶を辿ってみると、

「AFTER THE~」を聴いて感動した僕が、ロック好きの友人に、
「二-ル・ヤングのこれ、むちゃいいよー。君も聴きなよー」
と言うと、
「いや、二-ル・ヤングならこっちの方がいいから聴け」
と言われて貸し付けられた「SILVER&GOLD」やら「HARVEST」やらだと思われました。
てゆうかCD返せよ俺、って感じですね。

表題曲の中の超へっぽこギターソロは二-ル・ヤング自身の手によるものらしいですが、
「ヘタウマフリーク」の僕としてはザ・バンドのロビー・ロバートソンの演奏と並んで好きです。
って、二-ル・ヤングはギタリストではないので、そんな話はどうでもいいです。
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# by efurin | 2006-05-10 23:17 | ロック | Comments(2)

5/10日記

さて、ほんでもってブログを新設してみました。
いや、その、携帯会社を変えたもんでね。
ブログタイトルの「プール」ってのは泳ぐ所の意ではなく、

「ビリヤード」

の事であります。「プールバー」のプールですね、ハイ。
アメリカでは「ビリヤード」というのはキャロム(穴のないテーブルで行うビリヤード種目全般)の事を指しまして、我々にとって馴染み深いポケットが6個あるビリヤードの事は一般的に、
「プール」と称するらしいです。

その昔、ビリヤード台のポケットは今のように、玉が落ちた後転がって一箇所に集まる仕組みではなく、穴の中に貯まるようになっていたのですね。それで「貯まる」→「pool」と呼ばれていたわけです。ま、どーでもいいですね、そんなウンチクは・・・。

前のブログでは、毎日毎日「今日の名曲」と題してロックの好きな曲を紹介していたのですが、また1から書くのは面倒だなぁ・・・って感じです。書くけど。

そんなわけで今日だけイントロダクション的にたくさんの記事を書くと思います。
それでも、多分、「日記」と「ロック」だけは毎日更新すると思いますよ。
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# by efurin | 2006-05-10 22:42 | 日記 | Comments(0)