人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ブログトップ

プールとロックとお馬さん。

麻雀と僕。

麻雀の事でも書こう。

実は一番好きな遊びです。競馬よりも競輪よりも、当然ビリヤードよりも。

なぜ麻雀だったのだろう。

小学校6年生の時に本屋さんで麻雀の本を買って読んでいたのは記憶にあります。

思えば、中学・高校・大学時代と奇跡的なまでに麻雀環境に恵まれておりました。

中学の野球部の同級生だったタケちゃんの家はお金持ちで(これはあまり関係ないか)、なおかつお父さんがなかなかの放任主義だったので、週末になると彼の家で徹夜麻雀ができたわけです。13歳の子供たちが徹マンをやって、朝になるとタケちゃんのお母さんが、「朝ごはんできたわよー」とか言ってくれるわけです。なかなかありえない環境ですわな。
レートはかわいく点1~3ぐらいで、「わー、350円負けたー」とか、「次の半荘ラス食った奴が一人で近所のお墓に行く」とかやって遊んでおりました。

で、高校に入ったら入ったで、野球部同期のハギワラ君の家がグラウンドのすぐ隣にあり、そこがまた理解のある両親で、中学の頃と同じ環境が揃ってしまったわけです。
まあ、もっともレートは上がっておりましたが・・・。

ハギワラ君はとても野球が上手で、なおかつ強烈なリーダーシップの持ち主で、ついでに麻雀も強かったですね。彼のお陰で、僕らのチームは近畿大会で優勝でき、さらに麻雀もいっぱいできたので僕としては何ともありがたい存在でした。彼が指揮する野球の練習が厳しい以外は。

高校2年の頃に初めて雀荘って所にも行きましたね。店のTVでバルセロナオリンピックの野球をやっていたのを覚えております。野茂が投げてた。
よりによって大手のチェーン店などではなく、祇園にある怪しい雀荘でして、着物姿のスナックのママっぽい人や、金持ちっぽいそのお客みたいなのがわんさかいて高校生にとっては異次元空間でした。

当然の如く、大学時代も麻雀三昧の日々でした。僕の下宿の部屋が広かったのと、隣に一部屋だけの長屋だったので、思う存分騒音を立てれたわけです。入学当時、隣の先輩は6年生でしたがなかなか理解のある方で良かったです。

大学の頃は良かったですね、そりゃ。平日でも麻雀できるから。で、やっぱり麻雀の技術も「今までやってた麻雀は何だったんだろ?」って思うぐらいレベルアップできたと思っております。

しかし、大学も3年生になると講義やらが忙しくなってきて、「自宅で手積み」ってのがしんどくなってきました。面子も集まりにくくなるし。
そんなわけで、「週に1回程度、雀荘に行ってドップリと打つ」というスタイルに切り替わりました。
だいたい雀荘って所は、フリー優先でやっている店が大半でして、普通セットのお客(仲間内4人で店に来る客)ってのは雑に扱われるものです。具体的には、卓が空いているのに、フリー用に確保する為にセットの客を入れなかったり、最新の自動卓は使わせてもらえなかったりですね。まして学割の客なんてのは、ね。

でも、僕たちはいつも来る度に16時間から24時間打っていたので、さすがに別格扱いしてくれておりました。いつぞやか、事情を知らぬ店員が僕らを追い返そうとして店長にこっぴどく怒られていました。
そりゃそうでしょ。学割で1時間1人250円でも、20時間打てば場代が2万円ですからね。

まあ、そんな感じだから、結局、場代を払ったら負け分を払えない、って事がざらにありました。あまり良くないですね、こういうのは。でも、やはり自動卓の魅力は代えがたいものがありますから。

そういや、ビリヤード場をやっていた頃も麻雀的には良い時代でした。バイト君のお父さんが麻雀好きで、自宅の離れに自動卓を置いていたのですね。で、金持ちのおっさん達相手にかなり稼がせてもらいました。年間50回ぐらい打って、負けたのが2回ぐらいでしたから。麻雀で食っていたようなものです。そういや、あの時期はほとんど競馬をやってませんでした。1年間PATを放置して権利がなくなっていたぐらいでしたから。

ま、でもやはりレベル的に一番面白かったのは大学時代でしたね。あの頃は面子も豊富で、たまに大会とかやってました。

ちなみに、今の僕の住処にはなぜか自動卓が置いてあります。店のオーナーさんが好きらしいのですね。自動卓の横で寝ているわけですが、ここにやって来て2ヶ月、いまだ使う事はありません。ああ、もったいない・・・。
ちなみに、うちの店の向かいは雀荘です。向かいといっても廊下を挟んだ向かいなんで、ほんとまん前ですね。こちらもまだ行ってません。

ま、そのうちここで麻雀する事もあるでしょ。
by efurin | 2006-05-24 03:00 | その他もろもろ達