2012年 07月 30日
7/29日記
今朝は10時頃に起床。
競馬新聞があると目が覚める仕組みなのか。
新潟2Rからポツリポツリと馬券購入。
合間を縫ってコインランドリー。
馬券はまるで当たらず、PATの残6千円ちょうどで終了。
今日は6600円の負け。
土日トータルでプラス1100円か。
上手いことできてらあ。
5時半頃、すた丼へ。
ヤケ食い気味に坦々麺とミニすた丼のセット。
夜はひたすらボンヤリ。
途中、眠い時間もあったが、金曜にブックオフで買った本が面白く、眠ることなく完読。
「巨人軍に葬られた男たち」って本。
かなり暗鬱とした内容だった。
相変わらずオリンピックは見ていない。
が、ネットを眺めていると、どうしても話題は目に入る。
そして、多少は気にする。
今日も柔道で「日本だ韓国だ、あーじゃこーじゃ」という話があったらしい。
ふと、遠い昔のことを思い出した。
今から30年以上前のことを。
ちょうど今みたいな夏の盛り。
確か私は小学校の2年生だったように思う。
その日、私は家が近所で同級生のコウ君と、嵐電(京福電鉄)の鳴滝という駅の周辺で遊んでいた。
我々は駅前のスーパーに入った。
店内で涼もうと思ったのだろうか。
しばらくして私は、何の衝動に駆られたのか、青果コーナーに陳列されていた商品のスイカを「アチョー!」と叫びながらチョップで叩き割ってしまった。
どこかにブルース・リーへの憧れがあったのだろう。
さすがにヤバいと思った私は、コウ君の手を引き、慌てて店の外へ逃げようとした。
しかし、その私を制止しつつ、自動ドアの手前で彼は言った。
「あかん!悪いことしたんやから、ちゃんと謝らなあかん」
かくして私は、店の人に自首をすることとなった。
事務所でこっぴどく叱られた。
その後、小学校3年の頃だったろうか。
うちの近所の路地をコウ君と歩いていた時、彼は唐突に言った。
「僕な、実はチョウセン人なんや」
後々から思えば、かなりハードコアなカミングアウトである。
しかし当時の私には、そもそもの言葉の意味が伝わっていなかった。
「チョウセン人」→「挑戦人」→「チャレンジャー」
「なるほど、コウ君はチャレンジャーなのか!」内心でそう解釈しつつ、その場では「ふ~ん、そうなんやぁ」と話を流してしまった。
(現在、私と付き合いがある人は、今でも私がこういう気の無い相槌を打つのを見たことがあるはずだ)
流して良かったのかもしれない。
その後、コウ君とは少年野球チームでも一緒だったし、ずっと仲も良かった。
しかし、互いに別の私立中学校へ進学したことにより、その後は疎遠になってしまい今に至っている。
(ていうか、小中高の同級生すべて疎遠である)
そういや、コウ君の家は凄く立派な豪邸だった。
映画「パッチギ!」でも描かれたように、京都には在日の人々が多く暮らしている。
ふと今、あのスーパーでの私とコウ君は「どっちが日本人で、どっちが朝鮮人なのか?」と考えてしまう。
ネット上に書かれている韓国人の悪評を基準にすると。
つまりその、人格とは国籍で判別されるものではなく、個々の人となりを見なくてはならない、という話。
無論、総体的な国民性というのはあろうが、やはり個々は個々。
明日と明後日は12時出勤。
ただ、今回は珍しく水曜が休みなので、少し気が楽である。
どうでもいい昔話を書いてしまった分、ムダに長くなってしまった。
そんじゃあまた。
by efurin
| 2012-07-30 00:30
| 日記